なぜ女性差別のことをしつこく訴え続けなければならないのか

男女平等にしましょう、という話はここ数年言われ続けているけれど、こういった話は飽きたという人も多いかもしれません。何しろ、差別の撤廃がされない以上、「細かいこと」を「うるさく言い続け」なければならないからです。

 

  • おむつ交換代が女性用トイレにしかないのは差別ではないのか
  • 男性が女性のことを「おまえ」と呼ぶのはどうなのか
  • 旅館に泊まったとき、おひつが女性側に置かれるのは男女差別ではないか
  • 何かにつけ、男→女の順番に表記されるのは差別ではないか
  • 男性が家事を「手伝う」という言い方はするべきでない、「やって当たり前」と認識してほしい etc

 

見方によっては、重箱の隅をつついているのではないか、また言葉尻をとらえた因縁ではないか、という話もでてきます。しかし、差別というのは、こういった当たり前の、どうでもよいようなことのなかに無意識のうちに浸透しているので、そこを意識化して掘っていかなければならない。そうしないと、変えていくことは難しいのです。

 

こういう細かい差別のことをずっと言い続けていると、面倒な人だ、怖い人だ、優位に立とうとしているんじゃないか、とか思われがちなのですが、言っている方はそんなつもりはないです。ただただ生きづらくて困っているのを解決したい、ということがほとんどだと思います。あるいは、みんなが気づいていない差別的なことに気づいてしまって、どうしてもそれが気になってつらくなってしまうとか。決して、女性は偉いんだからリスペクトしろ、と言っているわけではないのです。

 

先日の東京新聞で、精神保健福祉士さんのインタビュー記事の中に、痴漢の半数以上の動機は性的欲求ではなく「ストレス解消」であるという、聞き取り調査の結果がありました。会社で嫌なことがあったから、上司に叱られたから、痴漢をしてやろう、と思ってしまうという。その目的には、「相手を思い通りにできる快感」があるのだそうです。女性を自分の支配対象とみなし、自分をなぐさめたり喜ばせるための道具にできるという精神性です。本当に嫌な話です。こういう精神性の片鱗はテレビCMなんかでもよく見かけるとは思うのですが。

 

上野千鶴子氏はフェミニストで有名ですが、「自由でありたい」という考え方がその根本にあるのだと言っていました。女性差別というと、結果的に男だ女だという話になってしまうのですが、それは結果としてそうなってしまっているだけ。人として支配や抑圧を受けず、自由な存在でありたい、ということが一番大切な願いなのです。

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